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第55回日本医学教育学会大会
大会長 
浜田久之

 

大会長のご挨拶に代えて。

 
2023年、『夏の来崎』物語。


2023年の夏、わたしは、来崎した。
長崎にやってくることを「来崎」というらしい。忙しくて、行くことをかなり迷ったが、振り返ってみると、とてもいい思い出になった。
 
 開通したばかりの新幹線「かもめ」に乗って、わたしは、長崎駅に着いた。
ホームに降りると、優しい風がわたしの長い髪を揺らし、ワンピースの裾がふわりと舞った。ああ、久しぶりの長崎。小学校の修学旅行以来だろうか。ずいぶん、変わった感じがする長崎。なんかワクワクする。
 学会場は、駅から直結している。
真夏の日差しが苦手なわたしにとっては、ありがたい。スーツケースを引いて、歩いてゆく。「へ~、新しくて大きな会場」
 その名も、出島メッセ。長崎らしい。
突然、誰かが、肩をたたく。振り向く。
「いや~、お久しぶり、ハルカ、元気?」
「ええ~、なんとか、やってますよ(笑) 先生こそ、お元気でしたか?」
大学の先輩だ。彼が、この学会を紹介してくれて、去年はじめて参加した。一緒に群馬までコロナ禍の中、強引に連れていかれた(笑)。今年の春からは、互いに、別々の市中病院で働いている。
「去年の群馬大会は、とても良かったよな。今年の長崎は、どうかなあ~」
先輩は、入口の看板をインスタに載せて「じゃあ、また後で」と、中へ入って行った。
 
『第55回医学教育学会大会 医療者教育の光と影、そして、未来へ』
 
 大きな看板が立っていた。あれっ、「医学教育」じゃなくて「医療者教育」なんだ。
会場に入ると、すぐに熱気が伝わってきた。どうやら、医師だけでなく、歯科医師や看護師さんや教育系事務の方など多くの職種の人も来ているみたいだ。なるほど、だから「医療者教育」。納得、納得。
 
 あちこちで、「お久しぶり、何年ぶり?」「コロナの前だから~」の挨拶や固く握手をして、ハグしあう光景が目に入ってきた。なるほど、みんな、会いたかったんだな。無理もない。もう、あれから3年ですものね。わたしは、荷物を預け、いくつかのセッションを聞いた。マスクなしで話す人を見るのは久しぶりで、なんかそれだけで感動した。
昼休み、屋上に登った。ひろびろとした屋上。周りは山に囲まれて、斜面に家々が並んでいる。空が高くて青い。あっ、すぐそばに、海。港から潮の香のする風が吹いていた。
「あ~、気持ちいい!」と、思わず声を出してしまうと、背中で声がした。
「気持ちいいね~。世界遺産が見えるらしいよ。観光案内所で、予習してきたんだよ(笑)」
 先輩だ。
「え~、本当ですか」
と、わたしは、先輩の指さす方向を、抄録集を丸めて覗いてみた。

 この街には、グラバー邸、大浦天主堂、ソロバンドック、ジャイアントカンチレバークレーンなどの世界遺産があり、会場の近くの桟橋から船に乗れば人気の軍艦島(世界遺産)にも気軽に行けるらしい。学会が、終わったら行ってみるか。いや、ちょっと、早めに抜けて、思いきって五島の世界遺産の教会群を見てもいいか。ハウステンボスも昔とずいぶん変わったみたいだから、ここも捨てがたい。不真面目なわたしは、そんなことばかり考えていたのだが…。先輩は、意外とまじめ。

「今日の午前中の<長崎からはじまった西洋医学>の話は、よかったね」
「はい、とても感動しました。恥ずかしながら、アルメイダなどは初めて知りました」
と、正直に打ち分けた。
「僕も、詳細を知ったのは初めてだけど。歴史が続いているんだね、この街は」

約450年前、ポルトガル船がやってきて、一漁村から貿易都市へ発展した長崎。
◎1567年、ルイス・デ・アルメイダ来崎。
 病を癒し、心を癒す、外科医であり修道士。南蛮医学の開祖。
◎1823年、シーボルト来崎。
 鳴滝塾を開き、全国から150名を超える俊秀が集まった。眼科手術などを行う。
◎1843年、モーニッケ来崎。
 聴診器導入。天然痘に対して、牛痘種痘導入。近代西洋医学がはじまる。

「<医療者のプロフェショナリズム>の話も、よかったよね」
「ええ、ポンペとか松本良順とかという名前も、はじめて聞きましたけど」

1857年、江戸末期、オランダ人軍医のポンペ来崎。
ポンペが伝えた言葉。<医師は、自分自身のものでなく、病める人のものである>
言葉だけでなく、日本で最初の西洋式教育病院を設立し、貧富の差なく、人種の差なく、医療を行った実践の歴史。患者中心の医療と医療者のプロフェショナリズムを学び、多くの若者が巣立って行った。

松本良順(長崎大学医学部の創立者、近代西洋医学を江戸へ。戊辰戦争を経て、初代陸軍軍医総監)
佐藤尚中(東京大学医学部前身の大学東校取締)
長与専斎(内務省初代衛生局長)
相良知安(ドイツ医学を導入、初代医務局長)

先輩は時計を気にしていた。
港から聞こえる低い汽笛が出航の時を教えてくれていた。
そろそろ、先輩の発表の順番が回ってきたのだろう。
「ハルカ、じゃあ、お先に。俺、ちゃんぽん食べに行くよ、カステラも買わないとね!」
「ええ~、先輩、マジですか。わたしの発表、聞かないんですか??」
 先輩は、背中を向けて手を振って足早に去ってゆく。
向こうに、港から離れる船が見えた。どこに行くのだろうか。長崎は、日本一有人離島が多く、離島やへき地での地域医療教育や多職種連携も活発に行われていると聞く。
 さあ、そろそろ学会場にもどろう。

学会のテーマは『光と影』。
 
ちょうど、学会長講演だ。沢山の人が集まっている。後ろの方に座り、昼寝しようかなあ~。
そう思ったが、ついつい聞き入ってしまった。
 
 
長崎は、唯一の海外に開けた港でありました。
 
西洋文化の入口として栄えた活気がある冨と人の集まる光輝く街、長崎。しかしながら、西洋文化と共に、天然痘やコレラなどの疫病の入口でもあったため多くの人々が命を失ったという影の部分もあったという事実もあります。
 1861年 日本初の西洋式病院(養生所)は、精得館と改称され、明治の時代に入り、長崎県病院医学校となり、大正時代には、長崎医科大学に昇格しました。昭和17(1923)年、長崎医科大学附属東亜風土病研究所が設置され発展を続けていた長崎大学の輝かしい歴史。しかし、深い暗闇が訪れる。昭和20(1945)年8月9日午前11時2分、長崎市に原子爆弾の閃光が炸裂。本学の計979名の学生,教職員が犠牲となる。世界で唯一の被爆した大学。教職員学生が一丸となり復興にあたったことは、忘れてはいけない歴史。

近年の医学教育に目を向けます。
 

卒前教育では、海外からOSCEが導入され30年が経ちました。
その後、CBT、臨床実習、教育の国際認証評価等、海外のグローバルスタンダードと評される制度の導入により、ここ10年で日本の医学教育が国際標準となった輝かしい側面は確実にあるとおもいます。しかし、学習プログラムの目まぐるしい変更は学生や教員に疲弊をもたらし、質の低下を招いているという影の部分も否定できないのではないでしょうか。また、日本独自の文化に根差したプロフェショナリズムは消えつつあるのかもしれません。

卒後教育では、2004年に新医師臨床研修制度が導入され、マッチングシステムが開始されました。研修医の獲得競争が始まった年であります。標準化された研修プログラムや医学生の研修病院の選択が自由となる光の部分もありましたが、独自性の乏しい研修プログラムとなり若手医師の都会への集中に拍車がかかったという影の側面も否定できません。一方、地方の大学や病院は、地域で医療人を育てようと様々な工夫をして教育効果を高めてきました。しかしながら、卒後教育(初期研修、専攻医研修)では、都会と地方、大学と市中病院という対立構図が出来上がってしまい、社会問題や政治問題に発展しているのは、臨床教育にとっては影というべきでありましょう。

さらに、2020年初頭から続いている新型コロナウイルスの感染拡大。
この影響も医学教育に光と影を落としています。以前より議論されていたリモート教育が一気に加速され様々な教育ツールが開発利用されるという光の側面がありました。しかし、対面による実習の欠如によるプロフェショナリズムの継承のしづらさ、各大学や病院に継続されていた隠れたプログラムが機能しなくなった等、影を落としました。ここ10年で促進されてきた医師・歯科医や看護師等が協働してきた多職種連携教育もコロナ禍でストップし、職種間の壁は再び高くなりつつある感もあります。

 ものごとのすべてに光と影、陰と陽があると思います。
しかし、影があるから光があり、光があるから影がある。医学教育もしかり、長崎の街もしかり。長崎の街の昼間の風景は、三方を小さな山に囲まれて斜面に家々が連なり、その先の狭い平地に路面電車がゴトゴトとゆっくりと走るのどかな風景であります。東京タワーと同じ高さの稲佐山の山頂から見るとすり鉢の底の穏やかな湖面のような海が太陽の陽をキラキラと映し出し、それを海岸沿いの造船所のクレーンが頭を垂らして水を飲む麒麟のようです。

そして、夜になると情景は一変。斜面に立つひとつひとつの家に光が灯り、漆黒の空に輝く。山の稜線の向こうには、星が輝きはじめる。クレーンのライトは幻想的に夜空に光の帯を放つ。光と影のおりなす長崎の夜景は、世界三大夜景に選出されています。

この街で、医学教育の光と影を語るのも悪くはない。
歴史を感じながら、感傷的に、医師の医療人のプロフェショナリズムを語ることもいいだろう。地方や都会という枠組みの中で、感情的に議論をするもの許されると思う。何が最先端で、日本の医学教育がどこへ行こうとするのかを議論してもらいたいと思う。
多くの人と文化を受け入れてきた長崎の街で、アフターコロナの時代に、もういちど集い、酒を酌み交わし、日本中から集まった幕末の志士のように、今の医学教育を憂い、熱く議論する学会になればと、今は切に願っています。学会員の皆様が、自由闊達に話すことによってのみ、未来は必ず拓けると確信しています。

 なるほど、長崎。面白いかも。
わたしは、昼寝するつもりが、ついついこの熱い会長講演を聞いてしまった。
会長の熱が伝わったのか、わたしは、甲高い声をだして、身振り手振りを交えて、演題を発表した。意外に質問の手があがり、慌てたが、気分はよかった。わたしの意見を聞いてくれるし、わたしがやってきたことを認めてくれいる人がいる。そんな気がした。

夜景も最高だった。
さすが、世界三大夜景。納得。
 
懇親会の後に、長崎の先生達と知り合い、思案橋にも行った。なんとなくエキゾチックな街並みで、黄色や赤の灯りと狭い路地は、どこかの国へタイムスリップしたようだった。
そこでも、わたしたちは、いろんなことを話した。
 
誰のために、何のために、わたしは、こんな仕事をしているのだろう。
人に教えること、それは、たぶん自分が学ぶこと。
いろんな思いが湧いてきた、2023年の夏。
いろんな出会いのあった、わたしの『来崎』。
 
もしかすると、わたしの医学教育者としての道は、ここから始まるのかもしれない。
ホントに、来て、よかった。2023年8月、第55回医学教育学会大会 in 長崎。
『Go! Go! 長崎』は、あまりにもベタすぎるキャッチフレーズだったけど(笑)。

 
作:大会長 浜田久之 https://researchmap.jp/7000001932
(ペンネーム 崎長ライト)