このたび,第77回日本公衆衛生学会総会を2018(平成30)年10月24日(水)から26日(金)まで,福島県郡山市で開催させて頂くことになりました。総会のメインテーマは,「ゆりかごから看取りまでの公衆衛生~災害対応から考える健康支援~」とさせて頂きました。

 今から約7年前の2011年3月11日に東日本大震災が起こり,東北地方太平洋沿岸を中心に甚大な被害が発生しました。この年の第70回総会(秋田市)では,震災から半年後という時期で,本橋豊学会長が急遽,特別鼎談を企画され,被災県の公衆衛生関係者として坂田清美教授(岩手医科大学),辻一郎教授(東北大学大学院)と私で,「被災地の公衆衛生を語る―課題解決に向けて―」について語り合いました。当時語られた復旧,復興に向けた課題は,徐々に実現してきていると考えます。しかし,福島の状況は岩手,宮城と異なっています。震災時の東京電力福島第一原子力発電所事故による原発周辺の住民への避難勧告で,当初約16万人以上の住民が避難を余儀なくされました。現在,避難指示解除になる地域,町村が徐々に増えていますが,避難者は帰還した人,帰還を迷う人,帰還しないことを決めた人など多様であり,人々の健康の保持,生活の支援には依然として問題は山積みです。

 今年は,福島にとって戊辰戦争後150年という記念の年です。明治維新後,会津を含めた福島はあらゆる意味で厳しい状況でした。戊辰戦争の際に敵味方なく看護・介助し,その後も孤児,病人のための救済施設を作るなど,「日本のナイチンゲール」と称される瓜生岩子は福島県民の象徴と言えます。1871(明治4)年に,福島県立医科大学の前身にあたる白河医術講義所が開設され,2年で須賀川に移転し,須賀川医学校となりましたが,ここで西洋医学を学んだのが,後藤新平です。後藤新平は,明治政府の内務省衛生局長に就任したあと,1920(大正9)年に東京市長となり,1923(大正12)年の関東大震災後の復興と近代都市の建設に大いに貢献したことでよく知られています。また,世界的な細菌学者でとして有名な野口英世は,渡米前に横浜検疫所検疫官補として,感染症対策の第一線で活躍しました。福島の歴史から,日本の近代化の一面を垣間見ることができます。

 本総会は東日本大震災という苦難の中で,前を向き,歩んでいる福島県民や東北の人々の命と健康を守り,生活を支える支援を公衆衛生として何を行ってきたのか,また,今後行うべきなのか,考える機会になればと思っています。災害はいつ,どこで起こるか分からず,決して他人事ではないことは,東日本大震災後も全国で災害が多発していることからも明らかです。本総会に参加される皆様にとって,有意義な時間になりますよう,役員,実行委員,学術部会員の力を結集して準備を進めております。多数の演題のご応募と,多くの皆様がご来福くださること,心からお待ち申し上げます。最後に,福島は豊かな自然,豊富な食に恵まれています。特に,日本酒は金賞受賞数5年連続日本一です。

 福島で学び,福島を楽しんで頂ければ幸いです。


第77回日本公衆衛生学会総会
学会長 安村 誠司
福島県立医科大学医学部公衆衛生学講座 教授