第20回日本内分泌学会九州支部学術集会 Endocrinology meets 福岡

「内分泌学に恋したエピソード」投稿一覧

後藤 理英子 先生

(熊本大学病院)


入局1年目に原発性アルドステロン症の症例を何例か担当しました。内分泌学会で発表したら、「面白いね」と座長の先生に言っていただいて、はまりました。小さな発見にこだわり続け、基礎研究も続け、オタクであることを活かせる分野だ!と思いました(笑)。結果を出すのに時間はかかりましたが、アルドステロンを研究されている国内外の先生方、副腎のことが大好きな先生方とお会いし、学会で盛り上がれて、本当に楽しかったです。内分泌学に恋するのは「生命の神秘」に触れることができるからかなと思っています。

大村 卓也 先生

(東京都健康長寿医療センター)


縁もゆかりもない九州地方会に登録したのは、妻が受賞するという知らせを聞いたからでした。早いもので4年になりますが、妻と出会ったのも内分泌の研究室のことでした。来春には子供も生まれる予定です。

今回の受賞は、私にとって自分のこと以上に喜ばしいことでした。良いことだけではなく、家族の心配も増えました。お参りにいっても、自分のことではなく、家族の無事を祈る日々です。

高士 祐一 先生

(福岡大学)


私が医師になって初めて担当したのは、自分と同い年のCushing症候群の女性だった。昨日まで学生だった私はあまりに無力だった。負荷試験ひとつまともにできない。そんな私に彼女は優しく、協力的だった。Cushing徴候が顕著に出てしまっている彼女だったが、そんな状況でも大変に美しい方だった。彼女の今後の人生を変えられたら、自分は医師になれるかもしれない、勝手にそう思った。Cushing症候群について一生懸命勉強し、指導医にも積極的に指導を仰いだ。泌尿器科カンファに出向き、拙いながら必死にプレゼンした。医師になって2ヶ月、あっという間の内分泌・代謝内科のローテが終わる頃、病棟には術後リハビリに励む彼女の姿がった。次の科にローテする私に、「頑張ってね、私も頑張るから」と言った。私は医師になれた気がした。

2年後、初期研修が終わる頃、たまたま外来で彼女と再会した。Cushing徴候がなくなった彼女は、綺麗に変貌を遂げていた。私は彼女の人生を変えることができたのだろうか。ひとつ確かなのは、私の人生は変わった。なぜなら、私は今も恋をしている、内分泌学に。

小川 佳宏 先生

(九州大学大学院医学研究院病態制御内科学(第三内科))


下垂体や副腎のような小さな内分泌器官より分泌されるホルモンは血液分布に従って指の先まで届いて多彩な生物作用をもたらします。学生時代に井村裕夫教授(当時)の講義を受けて、液性因子の代表選手であるホルモンによる生体の仕組みに素直に感動し、卒業後には迷うことなく内分泌代謝学を専攻しました。現在までの35年間に多くの経験をさせていただきましたが、1994年12月1日号のNature誌にJeffrey M. Friedman博士(ロックフェラー大学)らが遺伝性肥満ob/obマウスの原因遺伝子としてレプチンの発見を報告した論文は衝撃的でした。

1970年前後にDouglas L. Coleman博士(ジャクソン研究所・故人)は2匹のマウスを結合した併体結合実験により、ob/obマウスは食欲抑制作用を有する液性因子の欠損により肥満を呈すること、遺伝性肥満db/dbマウスでは上述の液性因子の反応性が減弱することを報告しました。このシンプルな実験により存在が予言されていた液性因子としてレプチンとレプチン受容体の分子実体が20年以上の年月を経て解明されたわけです。脂肪組織に由来するレプチンが視床下部に発現するレプチン受容体に作用し、食欲・エネルギー代謝が巧妙に調節されることが証明されました。当時、脂肪組織が循環ホルモンを産生するなど思いもよらぬことでしたが、レプチンの発見を契機に脂肪組織は単なるエネルギー貯蔵器官ではなく、アディポサイトカインとして総称される脂肪組織由来ホルモンを分泌する新しい内分泌器官であることが確立されました。大学院博士課程を終えたばかりの私は「とんでもないものが見つかったぞ」と生体の仕恒常性維持機構の美しさに驚き、心の底から感動したものです。

生山 祥一郎 先生

(大分三愛メディカルセンター)


血中を巡る微量の活性物質が生体機能を調節しているという不思議さに学生時代から惹かれていたので、けっこう純粋な興味で内分泌学を志し、九大第三内科に入った。どういう仕事でも同じだが、自分なりの苦労が報われてささやかでも成果が得られた瞬間は、いつまでも心に残るものである。私の忘れがたいホントにささやかなエピソード2つ。

時は1980年代初め、ラジオイムノアッセイ(RIA)による血中ホルモン測定が流行を極めていた時代。駆け出しの私は先輩の指導を受け、新しいペプチドホルモンのRIA系の構築などに携わっていた。RIA系の良し悪しは用いる抗体で決まる。他の研究者から譲り受けた抗体は決して不確かなものではなかったと思うが、技術の未熟さも相俟って、確信できる目新しい知見に遭遇するのは至難であった。この時代はG蛋白による細胞膜受容体の構造・機能調節が明らかにされていた時期でもある。研究に行き詰まりを感じていた私は受容体に興味をもつようになり、抗体の代わりに受容体蛋白を用いたラジオレセプターアッセイ(RRA)をやってみようと思いついた。当時、RIAで先端巨大症患者の髄液中ソマトスタチン(SS)濃度の測定に取り組んでいたのだが、下垂体腺腫のSS受容体は証明されていないことを知った。そこでヒトの下垂体腺腫でSS受容体を同定しようと決心した。もちろん、SS受容体cDNAがクローニングされるずっと以前のことである。一から自力で測定系を確立しなければならなかったのだが、系の確立に用いるラット下垂体を理学部の大村恒雄教授から提供していただけることになった。P450研究に携わっていた大村研の諸橋憲一郎先生(内分泌学会理事)らが数十匹のラットの頭をギロチンで切り落とすやいなや、次々に頭蓋骨を切り割って下垂体を取り出す。無我夢中でやったとはいえ、今思えば凄惨な重労働だった。これを用いて試行錯誤の末、SS受容体のRAA系が完成した。いよいよ先端巨大症の下垂体腺腫を材料にアッセイを行った日、実験系には絶対の自信をもっていたが、それでも心配で、測定器の前に座り身じろぎもせず測定カウントの数字を見続けていた。一本一本、カウントが出てくるにつれ、頭の中のグラフ用紙に結合曲線が描かれていく。非特異結合のカウントが終わり、特異結合の存在が明らかになった瞬間、誰もいない測定室のなかで思わず「やったー!」大声で叫んでしまった。RIセンターから出てきたときに見た日の出の太陽の眩しさを今でも覚えている。この自分が世界で初めてヒトの下垂体腺腫のSS受容体の存在を見たのだ、というナルシズムに浸って・・・。(でも、論文は2番目になってしまった!!)。

ホルモン作用は最終的に遺伝子発現調節につながる。分子生物学の素養がなかった私は、自分で新しい遺伝子をクローニングして発現調節の勉強をしたいと考え、米国NIHに留学した。この研究室では、先年から留学していた赤水尚史先生(内分泌学会代表理事)がTSH受容体cDNAのクローニングに取り組んでいた。赤水先生の研究にも参加し、cDNAクローニングに成功したが、そのあとの仕事が私の本当にやりたい発現調節機構の研究であった。TATA-lessプロモーターであるこの遺伝子は転写開始点が複雑で、毎日朝7時から夜中まで仕事をするにもかかわらず、めぼしいプロモーター活性を検出できない。月日だけが徒に過ぎていき、医局からは帰国の催促も届く。心がめげて、せっかくアメリカに来たのだから、せめてアメリカを味わって帰国するかと諦めの境地にもなる。そんな折、NIHの日本人研究者仲間でやっていた勉強会に、阪大からBaltimoreに留学していた岡野栄之先生(慶応大教授)が参加したことがある。正真正銘の研究者に「生山さん、No choice! 取るしかないよ!」と檄を飛ばされて、吹っ切れた。猛然とレポータープラスミドを作ってはCATアッセイを続けたが、それでも検出できない日が続く。ある日、「これもダメかもね」と半分諦めつつ、オートラジオグラフィーを現像にかけた。暗室の明かりをつけてフィルムを見たとたん、飛び上がった。慌てて隣のラボに駆け込んでフィルムを見せたら、「Sure, positive activity!」

その数日後から、諦めの境地で以前買っていたnon-refundableのチケットで、家族とともに2週間のキャンピングカーの旅に出た。モニュメントヴァレーのキャンプ場でBBQをやりながら眺めた、真っ赤な夕陽が目に焼き付いている。心の中には、ラボに戻って早く始めたくてたまらない次の実験プロトコールが次々に浮かんでうずうずしていたのだが、妻も幼い息子も気づいてはいない。

中村 慎太郎 先生

(九州大学大学院医学研究院 病態制御内科学)


研修医のとき大学ではよくわからないホルモン負荷試験を画像所見などと併せて先輩方が難解な議論しているのを聴きながら、いわゆる“スペシャリスト”の学問であり、自分には向いていないなと感じていました。しかし糖尿病内科で働いていた際に、血糖コントロール不良の患者さんの中に、聞いたことや見たことのある症状、所見があり、診察してみると腹部に赤い皺、飛び出た肩の脂肪、、、その後専門病院に紹介し、精査の結果クッシング病の診断となり治療開始となったと返書がきた時、煩雑な血液検査や画像所見だけではなく、全身の身体所見や症状から疑うことができる、“ジェネラリスト”としての一面もあることに惹かれ、一気に恋に落ちてしまいました。

かすいたい腫瘍ちゃん 先生

(九州大学病院 内分泌内科)


内分泌学、、、それぞれの人生によりそって必要なものを補充するところも魅力ですね。

でもほとんどは、今後の合併症や起こりうるものを予防するところが主要な仕事と思うんです。 患者の将来を案じて、気にかけて必要なものを提供する。安全に健やかに過ごせるように。。。 それは、、、そう、、、親が子供にかけるような無償の愛に近いものだと思います。 恋するというよりも、親心の愛で接する。内分泌に感じるものは、愛です。

加隈 哲也 先生

(大分大学 保健管理センター)


1990年に卒業しましたが、大学4年時に内分泌学の講義を受けた時から、自分は内分泌学を専門にすると決めて、当時の第一内科に入局しました。それは、一つのホルモンが、多くの臓器に多彩な影響を持っていることに惹かれたからです。実際に入局してみると、当時の上司の先生方(初代教授)は糖尿病が専門で、二代目の教授は肥満が専門で、誰も内分泌の臨床を本気でしたいという先生がいませんでした。ですから、逆に、医局の内分泌疾患は全て自分が診るという覚悟ができましたし、また大分大学(当時は大分医科大学)の他科にいる患者も全て診るつもりでやってきました。当時、大学に送られてくる内分泌疾患には極力関わってきましたし、相談があった場合には、当該の病院に出向いて、患者の診療に当たってきました。上司もこの状況を温かく見守ってくれたため、多くの症例に接することができ、学会や論文で症例報告をするとともに、全国の専門家の先生方ともたくさんの交流ができました。内分泌診療の魅力は、一つの病名の疾患(例えば、クッシング症候群)でも、患者によっては、骨粗しょう症がきっかけで発見されたり、糖尿病の増悪で発見されたり、病態が多彩であることが面白いと思います。それはホルモンの分泌動態によるため、臨床症状が比較的薄い患者から、教科書に載るような典型的な患者がいたりして、それなりに診療経験を積んでも、また新しい発見があるように思いました。また他施設では診断できなかった患者が(特発性浮腫として紹介)、一目見て、「これはクッシングでしょう」みたいに、他医が全く診断できなかった疾患を自分の目で診断できた時は、大変大きな喜びになりました。生活習慣病の診療をする中で、内分泌学をしっかり理解していると、診療の幅が広がると思います。現在は、肥満症診療・研究が主体になっており、内分泌疾患の臨床症例を診る機会は大きく減ってしまし、残念ではありますが、同門会などで若い先生方が貴重な症例発表をしているのを楽しく眺めています。内分泌学を勉強してきて本当によかったと思っています。

後藤 孔郎 先生

(大分大学医学部内分泌代謝・膠原病・腎臓内科学講座)


私が内分泌領域の面白さを実感したのは、研修医のときでした。

70歳の女性が食欲低下、全身倦怠感を主訴として入院し、私が担当医となりました。精査の結果、ACTH単独欠損症と診断がつきました。その後、副腎皮質ホルモンの補充を行いましたところ、みるみるうちに上記の主訴が改善し、家族も私を神様のように扱い喜んでいました。ところが、退院後の外来受診で患者の夫にお会いした際、私に対して不満そうな表情を浮かべていました。理由を問いかけると、「退院後も元気になったのは有難いが、年齢不相応な化粧をしたり派手な衣服を着るようになったりと、妙に色気づいてしまって困惑している」という内容でした。ホルモン作用の恐ろしさを実感した瞬間でした。

内分泌学の最大の醍醐味は、「見えないものを相手にしている」ということだと思います。探偵のように推理力や想像力を発揮して、病気を解明・治療していくところに内分泌学のおもしろさがあると確信しています。

内田 泰介 先生

(宮崎大学医学部附属病院 内分泌・代謝・糖尿病内科)


私はリン代謝異常を来した2症例を通して、FGF-23 (線維芽細胞増殖因子23)の生体内での機能を目の当たりにすることができました。

1例目は、原因不明の高カルシウム血症患者の精査中に、尿中リン排泄亢進を契機にFGF-23異常高値が判明した症例です。デノスマブ長期投与後の突然の中止で骨吸収が著明に亢進したことが原因の1つと推察されました。本症例は、学会発表を経て症例報告として英文紙にまとめることができました(Endocr J. 2020 28;67(1):31-35.)。本症例から、わが国で発見されたFGF-23が生体内で動的に変動することを知り、内分泌の面白さを垣間見ることができました。

2例目は、原因不明の全身痛から歩行障害を来した症例で、低リン血症を契機にFGF-23高値を発見し、腫瘍性骨軟化症と診断できた症例です。本症例に対して抗FGF-23抗体であるブロスマブを投与し、低リン血症の改善とともに全身痛が消失し、歩行が可能となる経過を外来で観察することができました。

FGF-23が1例目では骨吸収過剰の『結果』として、2例目は骨吸収亢進の『原因』として過剰に分泌されていました。新規ホルモンの発見が、病態の解析、診断・治療に直結していることを経験でき、内分泌の学問的な面白さを実感しました。これからも、症例の症候や検査異常が起こる機序を深く考えて、内分泌診療を楽しんでいきたいと思います。

皆様の素敵なエピソードをお送りいただきありがとうございました!

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